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保育士の人間関係でつまずいた話〜常識って何?〜

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こんにちは!
私は最近一気に秋が来た感じがしていたのですが、東京→北海道へ引っ越すことになり、秋を楽しむ前に冬になる気がしてなりません・・。
 さて、保育士をしている、していないに関わらず、「職場の人間関係」について悩む方も多いのではないでしょうか。
私も保育士をしていて10年くらい経ちますが、やっぱり良くも悪くも人間関係に悩んだ経験があります。
今回はそんな人間関係について考えていきたいと思います。

私の経験

私にはある程度経験も積んで、子育ても少し経験して、いざ正社員で仕事復帰!と思った矢先に人間関係でつまずき、新設園でしたが半年で退職した経験があります。
内容的には嫌がらせがあったり、コソコソ無視されたり、必要な伝達事項を伝えてもらえなかったりと、まぁパワハラ?モラハラ?と思われるような事が続きました。
当時は毎日涙が出るし、食事もできず3ヶ月で6キロ痩せたり、保育室に入ると嗚咽が止まらなくなったりすることもありました。
なぜそんな嫌がらせを受ける事になったのか・・・という理由については拗れたまま辞めたので正しくは分かりませんが、相手の方から見た「何でも一人で決めて」「自分に対する敬意が足りない」だったそうです。(両方とも実際に言われた言葉です。)
 私は自分なりに報告も相談もしていたし、一緒に園を作り上げる仲間だし自分の意見を言うのは当然の事だと思っていたので、いきなりそんな事言われて目の前真っ暗!
急速に病んでいきました。

「あなたの常識がみんなの常識だと思わないで!」

これも実際に言われた言葉なのですが、今になって思うと「いや、ホント!そうだよね!」
と納得する事ができる言葉です。

もう「ソレな」の領域。

そもそも「私の常識がみんなの常識」だったり「相手の常識がみんなの常識」だったら、こんなに人間関係が拗れる事はなかったでしょう。
でもね、山崎まさよしも「育ってきた環境が違うから〜」って歌詞にしちゃうくらい「好き嫌い」やら「常識」って人によって違うんですよね。
私の場合は相手の年齢はそこまで変わりませんでしたが、歳を重ねてくると自分の子どもと同じくらいの歳の先生と組む事だってあるわけです。
松田聖子が流行った世代の人、安室奈美恵や浜崎あゆみが流行った世代の人もいれば、西野カナが流行った世代、あいみょんが流行った世代が一堂に会しているわけですよ。
それぞれの良さを認めていかないと、必ず何処かにしわ寄せが来てそこからどんどん綻び出すのは当たり前のことです。

よく

私があなたくらいの頃はもっと大変だった

とか「私があなたくらいの頃は〜」と話し出す人(主に年上の先輩)がいましたが、受け取り方は人それぞれなんですよね。

その話を聞いて

そうなんだ!私ももっと頑張ろう

と思うタイプの人もいれば、

・・・・・・・・はぁ?それで?

と思う人もいれば、

え?何、嫌味?この人私のこと嫌いなの?

と思う人だっていて然りです。

正直こんなこと言われたら、先輩の方が後輩に対して、「先輩のう言う事は後輩は素直に受け入れるべき」みたいな思考が見え隠れする上に、好意的な言葉としては捉えづらいですよね。
 私の事例に戻りますが、今になって思えば、相手に「何でも一人で決める」「敬意が足りない」と思わせた私の態度も問題あったのだと思います。
相談しているつもりで発した言葉に対しても「勝手に決めないで」と言われましたが、決めている風に見せてしまった自分」がいたのでしょう。
想像でしか言えないので深掘りはしませんが、きっかけはもしかしたらちょっとした表情や仕草など、言葉以外の些細なことかもしれません。
 だからと言って、当時言われた言葉に対して瞬時に冷静に思考を巡らすと言う事ができたわけはなく、
私とあなたの信頼関係なんてないから。せいぜい頑張って。

と言い放ってくる相手に「敬意が足りない」と言われたところで、

あなたに対して敬うポイントって、どこかにあります?

という言葉が、本当に何度も喉まで出かかりました。

相手から敬意を払われていないのに、一方的にこちらが敬意を払って信頼関係を結ぶために頑張る必要はどこにあるのでしょう?
まして職場の上司でもなく、ただの同僚。年齢は違えど関係は対等です。
でもね、「関係は対等」
これが「私の常識」であって「相手の常識」ではなかったってことなんですよね。
最初の方に書いた
「私は自分なりに報告も相談もしていたし、一緒に園を作り上げる仲間だし自分の意見を言うのは当然の事」と言うのも、私の中の常識でしかありませんでした。
相手が私にどんな態度を望んでいたのかは正確なところはわかりません。
相手が望む態度をとる必要もないと思っています。
でもお互いに「自分から見える相手像」しか見ようとしなかった
ちゃんと話し合う前に「自分の期待した通りに反応してもらえないこと」や「相手への思い込みや決めつけ」がすごく小さなところから積み上がって不信感につながったということだと思います。

振り返ってみたら、確かに

あなたってこうだよね

と言い切られたことがすごく多くて、

この短期間で私の何がわかってるの?

と思っていました。

私も「私の知ってる私」しか見ようとしていませんよね。
 こうなってしまったらお互いの信頼関係を深めていくなんて、不可能か相当難易度が高くなっているという事は想像に難くないと思います。
私も時間が経ったからこそ今冷静に考え直すことができましたが、当時は先ほど書いた通り、どんどん病んでいきましたし、相手を否定することしかできませんでした。

結局どうしたらよかったの?

このゴタゴタの結果、私は園を去りました。
自分の心を守るためです。
園長にももちろん相談しましたが、見て見ぬ振りだったし、自分で自分を助けられる余裕はありませんでした。
今もあのタイミングで園を去る選択をしたのは間違いではないと思っています。
あのままでは自分も相手も成長が止まったまま、ただ無駄な時間が過ぎるところでした
年度途中で辞めることに対して責められる事もありましたが、もしこのまま続けて病み切ってしまったところで、相手は私の人生の責任をとってくれる訳でも無い。自分の人生の責任を取るのは自分です。
そしてここで終わっては、この経験から自分は成長できません。
あのときこうしていたら、こうだったら・・・と「タラ、レバ」ではありますが、自分が改善できる点もあったはずです。
よく「タラ、レバ」言っていても仕方ないと言われますが、私は視点や可能性が増えて未来に繋がる「タラ、レバ」はどんどんやっていいと思っています。
「こうしてみタラどう変わるだろう」「あの時こう動いていレバ、もっとスムーズに伝わったかもしれない。なら次はやってみよう。」とどんどん試行錯誤していけば自分の行動の選択肢は広がっていくと思いませんか?
多分これからも仕事にかかわらず、生きている以上、「え?何で?」と思うような「自分の常識の外側」から来る人達とも出会っていくと思っています。
その度に「この人とは話が通じないから無理」とスパッと切ってしまう前に、「じゃぁこの人の常識は何なのか?」「その常識によって、相手は何を守ろうとしているのか」「それらを踏まえて、じゃあ自分ができることは何なのか?」を考えて実践していく事はとても大切だと思います。とにかくか心が疲弊してしんどくない限りは、距離を置くのはそれからでも遅くはありません。
「自分の常識は相手の常識とは限りません。」
わかっているようで、私もまだまだ理解できていないと思います。
でも絶対に相手を変える事はできません。変われるのは自分だけです。
苦しい経験でも、ただの「辛かった悲しい過去」にするのではなくて、時間と共に自分の中で消化しつつ、「自分の器を広げてくれるチャンス!」と捉えて、私もこのチャンスを掴んでいきたいと思います。

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