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今になって考える「将来の夢」って誰の夢よ?

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こんにちは、朝活したいのに全く起きられないちゃぽこです。
今回は「夢」について考えた事を書いていきたいと思います。

子どもの頃の夢?

私が「将来の夢」を聞かれたのは、一番古い記憶で保育園の卒園文集に載せるためのインタビューでした。
正直、目の前に迫る「一年生になる」というドキドキ、ワクワクに気を取られて、想像すらしていませんでした。

私は担任の先生に

大きくなったら何になりたい?

と聞かれた時は頭が真っ白になり、適当に周りの友達に合わせて「ケーキ屋さん」とか、「お花屋さん」とか言えばいいものを、なんとなく偶然テレビで見たテニスの試合を思い出して「バドミントンの選手」と答えた記憶がハッキリと残っています。

あの時偶然見たスポーツが「相撲」でなくて本当に良かった。
ちなみに私は学生時代はバドミントンもテニスも相撲も、一度も経験どころか興味をもつことなく過ごしました。
そして「羽のやつ」と呼んでいたスポーツが「バドミントン」という名前のスポーツだと知ったのは小学校3年生頃です。
学校のクラブ活動の一覧に「バドミントンクラブ」を発見した時です。
シャトルさん、ごめんなさい。
それから「ワクワクドキドキ一年生♪」を迎えた私は小学生、中学生の時間を過ごしていくわけですが、「将来の夢」まで行かないまでも、絵を描いたり歌ったり、好きなことはありました。
でも当時の私は、例えば大勢の人の前で歌ってみたいと思っても「どうやったらそれが叶うのか」「叶えるために何をすれば良いのか」がわからず、調べ方も分からず、気付いたらその「やってみたい事」は達成される事もなくうやむやに・・・。
それだけ熱意を持ち続けられる「夢」ではなかったのかもしれません。
でも、当時は「安定思考」が超蔓延し、「堅物 オブ・ザ・イヤー」があったら、絶対ノミネートされるであろう父を持つ私が「親に反対されない夢」を一生懸命探していた事に、後から気づきました。
そして高校一年生の冬休み、高校生だからとバイトもさせて貰えず、彼氏もできず暇すぎて気まぐれで保育士の母親の職場にボランティアに行かせてもらった事で衝撃を受け、私は保育士を目指すようになりました。

保育士になりたい

と言った時、母は大反対。

福祉系行くなら看護師とか、医療系に行った方がいいよ

とも言われましたが、そもそも医療系に行くつもりが無い事と、通知票の理数科目がそれを絶対に許さないと言わんばかりの評価だった事。
そして何より私がやりたいのは「保育士」だという事を強く伝え続け、地元の短大へ進む事を許されました
もちろん、保育士になった事は微塵も後悔していないし、学びも沢山ありました。
今も学ばなければいけない事に溢れていて、やりがいや楽しみの宝庫です。
でも、今になって思うのです。
「人に許される夢」って何よ?

「夢」は誰のもの?

私はよく進路を考える時期になると親に

安定した、一生続けられる職業につきなさい。

と言われた上で、

何になりたいの?

と聞かれていました。

今考えると、なんて選択肢の狭い未来!!
しかも私の場合、「許される夢」と「許されない夢」がありました。
小学校の頃、歌いたいと思ったのは父に歌を褒めてもらったからでした。

でもある時歌うのが好きだから,何となく歌手になりたいなと話したら、

お前じゃ無理。歌が好きな人や歌手になりたい人は沢山いる。なれる人は一握りしかいない。

と言われて終了しました。

そこで私が

はぁ?言ったな?!絶対その一握りになってやるからな!!見とけ!!

と出来るくらいの熱量と、本格的な思いがあれば違ったのかも知れませんが、当時、小学生で会話の延長線上で何となく発した言葉に対して返ってきた言葉がこれ。

キャッチボールするつもりでふんわり投げた球が、まさかの大谷投手が投げるような豪速球で返ってきたので何も返せませんでした。

さすがは「堅物 オブ・ザ・イヤー」。

結果的に、私はやる前から「できない」と諦めました。
でも
私の夢を見るのは「親」じゃ無いんですよ。
私の夢を見るのは「私」です。
そう思っていながらも、「許される夢」と「許されない夢」がある事に気づき、私はまた自分の「将来の夢」が分からなくなりました。

子どもをもって思う事

「保育士(専門職)になる夢」「母親になる夢」を叶えましたが、振り返ってみるとそれは最終的には「に応援してもらえる夢」=「許される夢」でした。
私の「歌手になりたい」という小さな夢は一瞬で砕け散ったわけなんですが、やっぱり歌う事は好きだし止められない。
成人してから歌を自分で始めた時、やっとやりたかった事をスタートできた気がしました
メンバー集めて歌って、レコーディングして、ライブやって・・本当に夢の中にいるような時間でした。
そもそも「自分の将来の夢」を親を含め他人に認めてもらう必要なんてどこにも無いのに、何を怖がっていたのか。
自分が弱かっただけかも知れませんが、あの頃は周りに認められることが重要でした。
今は趣味になっている「歌」ですが、今も「聴いてくれた人の想いを引き出せるような歌を歌いたい」という「私の夢」があります。
今親になってみて、子どもには「夢は自由にいくらでも好きなだけ見せてあげたい」と、心の底から思います。
「夢」は必ず叶えなければいけない義務ではないし、コロコロ変わったとしても、その子の世界が広がっている証拠のような気がするのです。
子どもが見た夢を叶える為に行動するのか、やらずに諦めるのか、行動して失敗するのか、成功するのかは子ども次第。
ちゃんと子どもが納得できるまで見守ってあげられたらいいなと思います。
そして、夢は一つしか持てないわけでもないので、私も「子どもの夢を応援できるお母さんになる」事をもう一つの「私の将来の夢」にして、子ども達と夢について話す日が来るのを楽しみに待ちたいと思います。

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