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保育の「失敗」って何だろう?

保育について

お久しぶりです。

やっと職場に復帰でき、かわいい子ども達と楽しく過ごしているものの、毎日5時起きで娘の幼稚園の弁当作りに疲れているちゃぽこです。

一年目の先生はそもそも慣れていない環境なだけではなく、「通常とはかけ離れた状態」からスタートし、先輩の先生は毎日目まぐるしく変わっていく状況の中で保育をしたり、後輩指導にあたらなければならないことを思うと、私も少しでも周りの先生達のサポートをしたいなと思っています。

徐々に日常を取り戻してきている今、悩み始める先生も多いのではないかと思い、今回は保育の「失敗」って何だろう?というテーマを自分なりに深掘りしてみたいと思います。

これって失敗?

別の仕事をしていたり、産休、育休に入っていたりと保育士の仕事から離れていた時期はあれど、私は保育士という仕事が好きです。

日々「あの時の私の対応は良かったのかな?」「あの子のあの言葉はちゃんと受け止められたのかな?」等気になった子どもの姿や表情、言葉は振り返るようにしています。

 

ある小規模保育園の新設園で勤務していた時、ペアの先生とその月の製作の話になった時の事です。

私なりに考えさせられる出来事がありました。

一歳児クラスの子ども達です。

手形スタンプを一度経験したので、次はどうする?という話題になりました。

新設園なので、子ども達の発達状況や興味のあるものなどは、やりながら把握していく状況です。月齢が高い子が多かったので、「クレヨンでの描画」を提案しました。

ペアの先生には、子ども達が興味を持てるのか、興味を持ってくれたとしてどこまで出来るのか、又は全く興味を持たないのか、子ども達の今の姿を把握したいということも踏まえて伝えました。

ペアの先生は「ちゃぽこ先生がやりたいならいいよ。」

ということになったので、いざ実践。

クレヨンの指人形で導入し、見本を見せて、描いてみるという流れでした。

描き始めると本当に様々で、どんどん描きたい子、お友達がやっているのを見ていて、後半少し描いてみた子、何かよくわからないけど、やってみたら楽しくなってきた子。クレヨンが初めてで、とにかく不思議そうにしている子。

全く興味を持たない子はいませんでした。(私には居ないように見えていました。)

 

その日の午睡時間、ペアの先生とこんなやりとりがありました。

ペアの先生:「やっぱり失敗すると思ったんだよね。」

私:「何が失敗ですか?」

ペアの先生:「だからさ、クレヨン。できてなかったじゃない。」

私:「そうですか?集中できる時間は短かったけど、皆んなやってみようとはしてたと思います。Aちゃんは慣れている感じでしたよね。」

ペアの先生:「はぁ〜・・あっそ。」

それ以上話は続きませんでした。

ペアの先生からしてみたら、もっと順序立てて簡単なものを(再度手型スタンプをするとか、タンポスタンプにするとか)やった方が良いという思いがあったのかもしれません。

月齢把握してたら予想できるでしょ?と言われればそうかも知れません。

手型スタンプを2ヶ月連続でとっても、悪いことはありません。

 

では、私が実践してみたことは「失敗」だったのでしょうか?

 

今回描画を提案したのには理由があります。

自分の娘が1歳になった頃から殴り書きに興味を持っていたことや、別の園に勤務していた時、同時期頃からお絵かきを設定していたという、私の経験から不可能ではないと判断したから。

 

そして、今回のねらいは「子ども達が絵を描く事を楽しむ」ではなく、「クレヨンや紙の感触、お絵描きそのもに興味をもつ」でした。

 

あくまでもこれからの保育にどう組み込んでいくか、「今」の子ども達がどういう状況なのかを把握したかったので、ペアの先生にはそう見えなかったとしても、私の中では決して「失敗」ではありませんでした。

 

 

活動に集中できる時間は人それぞれです。内容によっても変わってきます。

 

ペアの先生の言う「失敗」がどんな事を指すのかは残念ながら教えてもらえなかったので、予想することしかできませんが、何よりも「失敗」と確実に言えることは「担任同士の思いがズレてしまっていた」という事。

 

これははとても反省です。今回の設定でどこまでを「ねらい」にしていくのか、何を大切にしたいのか、もっともっと話す必要があったと思います。

 

職員が同じ方向を向けていないとお互いが辛い思いをするし、保育も良いものにはならない事を知っているからです。子ども達にすべて返って来ます。

 

この先生との関係については今回はこれ以上触れませんが、職員同士の人間関係についてもまた別の機会に触れていきたいと思います。

日々の反省

「子ども達がうまく自分の導入に乗ってきてくれなかった。」

「活動が全く盛り上がらなかった。」

日々保育をしていると、様々な「失敗」を感じる瞬間はあると思います。

「何でできないのかな・・子ども達に申し訳ないな・・。」と思うことも一度や二度ではないと思います。

 

でも、今反省してる「それ」って本当にダメなことだった?

という事を一度考えてみて欲しいです。

 

 

先ほど挙げた事例で、もしねらいが「好きな絵を描いて楽しむ」だったとしたら、私の実践は「失敗」とされても仕方ないと思います。

 

「子ども達が絵を描く事を楽しんでいたか」といえば、「今はまだかな」という状態ではあったから。

でも興味を持つことができていた。

 

 

それなら、少しずつクレヨンに触れる機会を増やしてみようか?

クレヨンを子どもが使わなくても、職員が絵描き歌などで、描いて見せる遊びをしてみたらどうかな?

やっぱりクレヨンはもう少し後にして、フィンガーペイントやタンポスタンプで慣れていった方がいいのかな?

手を汚すことに抵抗ある子もいそうだな・・・。

 

考え方は沢山あります。

 

どれが正解なのかは分かりません。

ある子には全部正解かも知れないし、違う子には全部不正解かも知れない可能性だってあります。描画が好きな子もいれば、苦手な子だっていて当然なのだから。

 

特に0〜2際は個人差が大きく、一斉にというよりは「個別に」しっかり関わりながら子ども達を観察しなければわからないことも多いです。

 

 

ただ、少なくとも私や、今読んでくれているあなたが「失敗」と感じることは、見方を変えれば「もっと良くしていく為の一歩」でしかないです。

 

「今、ここから」私が成長できれば、次の保育はもっと良いものになる、良いものにする。

そのために何が出来るかを考えられる機会が「失敗」と感じた保育ではないでしょうか。

私の失敗

最後に、私が保育士一年目にした「失敗」を紹介したいと思います。

2歳児クラス。

給食がいつも遅くなってしまうC君。

遅くはなるけれど、完食はできる子です。

その日の配膳量はいつもと変わらないものの、苦手な野菜が入っていました。

いただきますをして食べ始めるものの、やっぱりスローモード。

他の子はどんどん食べ終え、午睡の準備に入っています。

時間も12時をまわり、少し焦ってきた私がC君に「食べられる?」と聞いたら、「C君、食べるの!」と返事が
返って来ました。(12時半頃から午睡に入る園でした。)

途中少し量を減らしたり、介助したりしますが、野菜には手をつけず、他のものばかり減っていきます。

何とか残り数口分になった時、またC君の手が止まりました。

C君:「C君、もういらない・・」

私:「え、後もう少しだよ?これでおしまい。」スプーンに乗せて見せる。

C君:「C君いらない!!」

私:「えー!C君、食べられるって言ったのに〜!!」




すぐ近くにいた先輩の先生はそれを聞いてクスリと笑いました。

先輩の「クスッ」という声で一気に冷静になった私は、一瞬で脳内大反省会をしたのですが、

さて、その後から私はどうしたでしょう・・・?

あなたなら、C君にどう関わっていますか?

そこから何を学びますか?

 

 

 

 

 

 

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